モーニングページ、人生を変える4つの効果

僕はあまり継続することが得意なタイプではない。

何にしても興味が生まれやすく手を出すのだが、それを継続するのが苦手なのだ。

 

小さい頃からその嫌いがあり、

これは一生直らないもので自称“ジェネラリスト”として、

自分を取り繕いながら正当化して生きてきた。

 

でもやはり仕事でいろいろな人と関わっていると専門性というのが、

羨ましく思うことも多くあり、年齢も30歳を超えてきて

「このままではいけない」という想いを強くしてきたのも事実だ。

 

「人間そう簡単には変われない」

確かにその通りだと思う。

 

でも僕はモーニングページを始めたことにより、

あんなに難しかった“継続のコツ”を何となく掴んだように感じている。

 

モーニングページとは、

『ずっとやりたかったことを、やりなさい(ジュリア・キャメロン)』という本に書かれたメソッドで、

毎朝起き抜けに3ページ思ったことを書くというだけの作業である。

書く内容はなんでも良い。頭に浮かんだこと全て書いていく。

そんな作業を毎日行うのだ。 

 

当然時間のない朝に行う活動なので、継続のハードルは極めて高い。

しかも3ページも手書きでノートを埋めていく必要がある。

 

「こんなの続くはずないだろう」

 

当初はそう思っていた。

 

将来自分の役に立つであろう勉強でさえ続けられないのに、

朝早起きしてただひたすら3ページを埋めるだけの作業を行うのだ。

「どうせ何も変わらないだろう」と思っていた。

 

でも興味本位から始めてみるのが僕である。

苦手な朝を6時に起き、1時間確保してただひたすらに殴り書きをする。

「眠たい」「何を書けばいいんだ」「意味はあるのか」

と今までに何度も何度も書いてきた。

 

ルールにしていた3ページというのは守れていないが、

そんなこんな今日で200記事になっている。

 

さて、その効果はどうだったのか。

 

僕が感じたのは以下の通りだ。

 

①朝、早起きするのが楽しみになった。

 実はこのモーニングページ、結構楽しい。

 自分の思っていたことをアウトプットする場がなかったこともあり、書くことに慣れてくると書きたいことが山ほど出てくるのだ。

 毎日僕の愚痴や思ったことをただひたすら聞いてくれると思うとノートが愛おしくなるほど。

 最初は辛かったが、我慢して続けていくと段々と慣れてきて、毎朝が楽しみになり早起きができるようになった。

 

②日常で気付いたことをメモするようになった。

 どんな些細なことでも書くネタとしてメモをするようになった。

 そうでないと朝の時間があっという間に過ぎてしまうからだ。

 できるだけ早くページを埋める必要があるのでメモをするようになり、これが仕事面でも非常役立っている。

 

③このようにしてブログを再開するキッカケとなった。

 モーニングページは朝に書くものなので、朝以外には書かないようにしている。

 一時期夜にも書いていたこともあったが、際限がなくなってしまうので、その場合にはブログに書き起こすことにした。

 このようにネットで公開するのが恥ずかしかったので未公開のものも多くあるが、もしかすると誰かの興味を引くかもしれないといつかはネットで公開したいと思っていた。

 

④継続するコツを理解した

 継続って異次元に難しいものと思っていたけれど、実際には最初だけが辛くて慣れてくると呼吸をするかの如く、自然にできるようになった。

 この習慣とも呼べる継続をしたことにより、他に継続をしたいことがあっても「毎日1秒でも続ければきっと呼吸のように習慣化する」と思えるようになった。

 

 

このように、モーニングページにはいろいろな効果がある。

ある人にとっては新たな自分を発見することができたり、

ある人にとっては異世界にチャレンジすることもあったり、

いろいろな可能性を秘めた習慣だと思う。

 

合う合わないはあると思うけれど、

いろいろなことに挑戦して自分に合ったものを見つけていく努力は今後も怠らないようにしたい。

 

 

 

 

もう、打った?

仕事柄、ワクチンの話題になることが多い。

「もう打った?」

これがこの話題が始まる合図だ。

 

メディアは連日コロナの感染者数を報じ、政府はワクチンの接種を推奨する。

人々は”パンデミック”という言葉に恐れ慄き、外に出ることすら躊躇ってしまう。

 

「重症化により死亡」とか「無症状感染」とか

わけもわからないいろいろな情報が錯綜し、

先進国日本においても未だにカオスな状況にあるのが現実だ。

 

そして小さなコミュニティであればある程、その反応は強くなる。

「コロナに罹ったのはあの家だ!」と近所が一斉に非難する。

「弊社の感染者は・・・」と会社が過剰に反応してしまい、

一人の社員が奈落の底に突き落とされてしまう。

 

とどのつまりは冒頭の「もう、打った?」である。

 

僕は世の中に問いたい。

 

ワクチンを接種してなぜマスクを外さないのですか?

なぜコロナに効く薬よりワクチンが先なのですか?

なぜmRNA等と人類で使用されていないものを今使用するのですか?

ワクチン開発まで5〜10年掛かるというのにどうしてすぐに出せたのですか?

そのワクチン開発でもとにしている遺伝子配列情報は中国産ですか?

なぜ心不全でもコロナ感染していたら死因がコロナになるのですか?

というかワクチンって治験段階ですよね?

 ファイザーさんも責任取らないって言ってますよね?

ワクチン起因の死因なら日本政府補償のはずですから敢えて因果関係を認めないんですよね?

そもそも新型コロナウイルスの存在、認めていませんよね?

 

 

・・・なんて、ざっと考えただけでもたくさんの矛盾がある。

 

こんな矛盾が多いものをよく受け入れられるな、というのが正直な感想だ。

 

調べれば調べるほど、ウイルスより人間が怖くなる。

世の中が信用できなくなる。

 

でも、そんな世の中だからこそ、

真に信用できる存在に気がつけたのだ。

大切にすべきものに気がつけたのだ。

 

物事には良し悪しの両側面が、必ず存在しているのである。 

今、この瞬間を生きるということ

僕に32回目の夏が来た。

 

夏が来るたびに思うことは

「僕はあと何回夏を過ごせるのだろう」

ということだ。

 

小さい頃は「夏になれば夏休みだ!」なんて

時間が早く過ぎることを望んでいたのだけれど、

今となってはあと50回ぐらいしか夏を過ごせないんだ、と

感傷的になることも増えてきた。

 

未来を望むことはとても多い。

「もう少ししたら給料日だ!」

「早く寒くて暗い冬終わらないかな・・・」

「仕事嫌だー早く定時になればいいのに」

なんて、将来を生き急いでしまう。

 

本当に大切なのは、今、この瞬間なのだ。

今のこの瞬間は二度と味わうことができない。

 

あれだけ嫌だった数学の授業も、

クーラーのない夏の教室も、

うまく調整ができなかったテスト週間も、

今どれだけ望んだとしても二度と戻ることはできない。

 

今、この瞬間も同様ではなかろうか。

この瞬間こそ掛け替えのない時間に他ならないのではないだろうか。

7月14日はこれから何度も経験するかもしれないが、

2021年、32歳に経験する7月14日は二度と経験できないのだ。

 

時間というのは貯めることも増やすこともできない。

これほど尊いものを「早く過ぎれば・・・」なんて考えるのは、

本当はとてももったいないことなんだろうな。

 

今がどれだけ嫌だったとしても、死にたいと思ったとしても、

時間が過ぎれば絶対に笑い話になる。

 

それであれば、今この瞬間に絶望せず、

愛おしくなるぐらい大切に、”自分の時間”を過ごそうではないか。

 

尊い時間を嫌なことに費やすのではなく、

もっと自分本位に生きようではないか。

 

自分の時間は自分だけのものなのだ。

誰がなんと言おうと、自分だけのものなのだ。

スマホ2台持ちについて

現在僕はiPhone8とiPhone11の2台持ちをしており、さらにiPadAir4を常用している状況だ。

しかし、マスク必須の昨今において、iPhone11の使用頻度は凄まじく少なく、メイン端末はiPhone8、サブにiPadAir4、LINEのみiPhone11という謎の使用状況となっている。

これは本当にもったいない使用方法になっているため、今後どのように活用するか再検討をし始めた。

 

本来であればiPhone11を1台持ちにしても良いと思うが、メイン端末ではLINEを活用したくない。

そしてサイズも大きいので不便だと感じている。

あくまでスマホは取り回しが良いのが最善と考えるからだ。胸のポケットに入るサイズであることが望ましい。

故に、iPhone8が未だにメイン端末となっている。この方が電子決済時も指紋認証で楽だしね。

 

そこで今後どのように活用をしていくか、検討を始めた。

まとめると、

○電話番号は2つ必要(LINEをサブの端末で活用したい)

iPhoneを2台活用するのもいいが、顔認証は不便

○結局サブ端末はiPadAir4

○2台持ちなら1台は完全に経費として扱うことも可能

○できるだけ国産のスマホにしたい

という希望がある。

 

実は会社のガラケーも直にiPhoneSEに切り替わるとのこと。

このままiPhoneを3台持ちするのもどうかと思っている。

 

そうすると、過去に使用感が悪くなかったXperiaに戻るのも悪くないだろう。

SONYは推しのメーカーだし、Androidのサポートもわりと長くしている。

使用感も高級感も見劣りせずカメラ性能も抜群、画面の割れも経験をしたことがない。

ただ、ネックは金額が非常に高額になるというところぐらいか。

 

いろいろ悩むことも多いが、しっかりと考えて対応したいと思う。

日記のような記事になってしまった。。。

アメリカ大統領選に見る時代の流れと考察

2021年に入り初めての投稿である。

 

 

唐突だが、現在アメリカは大変な状況にあるように思う。

日本のマスコミは全く報道をしないし、世の中的にはバイデン大統領が無事に就任し実務に就いているという認識であろう。

しかしながら、すでにアメリカ合衆国は2021年1月19日(?)に既に解散されているのではということも言われている。

アメリカ合衆国というより、『株式会社アメリカ』であるが。

 

株式会社アメリカについては下記リンクに記載がある。

http://cutshoptime.com/talk/bf_02.html

 

このようなことが本当だとしたら、どれだけ僕らは搾取され続けてきたのだろうか。

 

 

 

・・・なんて、嘘か本当かわからないような話だが、現在の中国の様子に鑑みると本当のような気もしてくるし、日本だって日本人を大切にしないような政策がまかり通っていたり裏でなにかに操られているのではと感じることも多々あるのは確かだ。

 

アメリカ大統領選においては、不正投票が行われたかどうかは別にしても、それを検証するプロセスに疑問が残る点が多かった。

もし、バイデン側が正々堂々と戦って勝ったのだと主張するのであれば、不正投票がないことを証明するのに協力しても良かったのではないか?と思うわけである。

民主主義の根幹である選挙が守られることは国民にとって最も重要な権利であるはずだが、協力しないということはそれを蔑ろにしたと解釈されても仕方がないのである。

それは大きなイメージダウンになるはずだし、その懸念があれば調査に協力するだろう。

要するに、調査をするよりしない方がメリットがあったということだ。

 

だが、この事実をアメリカ及び日本のマスメディアは一切報道しない。

マスメディアは国民の『知る権利』に縛られることはないからだ。

マスメディアは営利企業であるため、基本的には法律の範囲内で、スポンサーである企業や株主の顔色だけ見ていればよいのであって、国民の公益まで面倒を見る必要はないのだ。

故に、我々がマスメディアから得る情報というのは、意図的に選別されたものになるのである。

このようにして、長年に渡り日本は洗脳が続いてきたし、現在もなにかを隠したまま日本という国が動いているということだ。

 

 

我々としてできることは、まずは知ること。

偏った情報だけで判断するのは情報提供者の思う壺と言わざるを得ない。

その後、どのような結論を導き出すかは人それぞれだと思うが、まずはしっかりと情報を広く集めることが重要なのだと思う。

 

また、どのような時代が来ても生き抜いていけるように常に力を蓄えること。

どんな時代が来るのかを読むことができればある程度荒波の中でも生きていけるであろう。

そのためにどんな準備を今しておくのか・・・できるだけ自分にとって無理のないものが良い。

 

 

今はお金が頂点にある、とても生き辛い世の中だ。

大半の人は生きるということに希望を持ちにくい要因の多い世の中だと思う。

しかし、お金というのは幸福を長く保持することはできないし、欲望はメディアにより生み出された余計な欲求である。

お金は不幸を取り去るためにあるものと考えた方が賢明だ。

 

お金よりも、精神的に自立をしていくことが重要なのだ。

他人と比べることなく、自分がどのような生活をしたら快適なのか。

自分がどのような仕事をしていると苦にならないのか。どんな仕事なら人々に貢献できるのか。

 

目まぐるしい世の中で立ち止まって物事を考えるなんてなかなか難しいけれど、こんなことをしっかりと深堀りして考えることで、いろいろな気付きが得られるものと思う。

 

 

書きたいことが定まらないので少し自分に対して労ってみる

休みだから、時間があるからブログを書きたくなる。ということはない。

今日は家で家事をしたり映画を観たりして過ごしていた。

仕事がバタバタすると休日は身体を休めることが最優先になりがちである。

 

やはりこうやってブログを前にすると何を書いたら良いかわからなくなる。

でも少しでも記録に残せるように、書いて公開していく。

体裁は後で整えていくことができるだろうし、まずは書いて公開して、慣れていくことが一番重要であると思う。

 

まだ僕はブログ初心者のよちよち歩き状態なのに、他の立派なブログのように書けるようになると期待する方がおかしい。

それこそ自分自身に期待しすぎだし、その期待はある意味自分に対する虐待になりかねない。

ピアノでプロと子供が比較されるようなものだからね。もちろん子供でも大人顔負けに演奏する子もいるわけだけど。

 

少しずつ少しずつ、前に進んでいけば良い。

書きたいときにたくさん書いたら良い。

書きたくないときは本当に少しだけでも継続していくことが重要だ。

 

なんて、こんなこと書くのも恥ずかしいけれど、これを公開することに意味があると思うので、息長くチャレンジしていきたいと思います。

【モーニングページの効果】モーニングページを始めたら表現をしてみたくなった話

僕は今までに表現という表現を避けてきた。

友達と居ても思ったことを言わないし、カラオケで歌うのも苦手だ。

会社でもあまり自己主張をせず、静かに数年を過ごしてきた。

 

しかし、それで良いのか?と思い立ちこのブログを開設するに至ったのだけれど結局こんな感じでほったらかしにする有り様なのだ。

誰も見ていないし見てくれる人なんて面白半分で何も期待していないとはわかっているにも関わらず僕は表現することが出来なかった。

たぶん、「表現すること=脳内を垣間見られる」ぐらいに思っていて、それが恥ずかしくて今まで表現らしい表現をしてこなかったし、今だって尻込みしているのだと思う。

 

そんな僕に転機が訪れた。

『ずっとやりたかったことをやりなさい』という本を読んでいたのだけれど、その中で【モーニング・ページ】というメソッドがあると知り、試すことにしたのだ。

このメソッドとは、

 ①朝起きぬけに何よりも最初に

 ②A4ノート3ページ分思ったことをとにかく書く

 ③それを毎日12週間継続し8週間は見返さない

 ④そして絶対に誰にも見せない

という簡単なルールで構成された自己表現の方法である。

 

最初は正直1ページを書くのもしんどかった。

でもルールの中にあるようにただ思ったことを書くだけでも良い。誰かが見るわけでもないので気取る必要などない。

書くことがなければ「書くことがないぴょん」って永遠に書いていれば良いのである。

 

そんなことを繰り返していると、一週間も経たないうちに、自分の言いたいことや日頃思っていることなんかを書きたくなる瞬間があり、いつの間にか夢中になって書き込んでいる。

そして書き込んだものを冷静に見直すと、「あーこんなことで悩んでたんだ」とか「こんな考えが自分にもあったんだ」なんてことを再認識するのだ。

 

最初からいきなりブログを始めたが、何書いたら良いのか全くわからず、書いては消し、書いては消しを繰り返していた。

そしていつの間にかブログを書かなくなり、ブログの存在すら忘却の彼方に。。。

時々思い出しても「才能のないことに時間を費やしても…」なんて思っていた。

 

でも表現が苦手な人間が公衆の面前でいきなり文章を披露するなんて、ただ無理な話だっただけのことだ。

モーニングページを始めて1ヶ月になるが、毎日何かを書きたくてたまらない自分がいる。

誰かに見てもらって、何か少しでも変化を感じてもらい、さらにフィードバックがあれば、なんて期待している自分がいる。

 

これが僕のモーニングページを始めた効果だろうと思います。

 

僕はこうやって表現をしたかったのだろうと思う。

いろいろなものに抑圧されていたし、綺麗でいたいという感覚があったのだろう。

自分には色が無いと思わせておけば、人に嫌われることもないだろうってね。

 

でも実際には、色のない自分を演じているから染めようとする人が寄ってきて、それを拒否できずにストレスが募る。

あるところで我慢ならなくて拒否をすると嫌われてしまい、また自己嫌悪に陥る。そしてまた思う、もっと透明な自分でいようって。

これを繰り返していくと、本当の自分がわからなくなってしまって、より消耗してしまっている。

でも自分が嫌だなって思うことはわかっていて、自我がそこに存在しているのを認識できるのだ。ただ全容は掴めない。

 

どうせ嫌われるなら、自分の色を出しても良いんじゃないか。

自分を否定する必要などない。自分は自分である。

自分の色を好きになってくれる人もいる可能性もあるわけだから、どうせなら透明でいることをやめても良いのではと思う。

青色だって赤色だって、好きな人もいれば嫌いな人もいる。ただそれだけのことだ。

 

そんなことを再認識したここ1ヶ月でした。